RNA-Seq解析では、さまざまなツールを組み合わせた標準的なワークフローが広く利用されています。こうしたワークフローとその教育の普及によって、専門家でなくても複雑な解析に取り組めるようになりました。しかし、その一方で、ツールを順番に実行し、解析を最後まで完了させること自体が目的になってしまうという問題も生まれました。実際、データに潜む問題を見落としたまま、信頼性に疑問のある解析結果が研究論文として報告され、査読を通過することもあります。
問題の本質は、手続き中心の教育が、標準的なワークフローに従うことを無条件に正しいと考える姿勢につながってしまい、解析結果を批判的に検討する機会が失われることではないでしょうか。
統計モデルを理解することは、手続き主義からの重要な前進
こうした問題への対処として、ツールの操作方法だけでなく、背後にある統計モデルを理解することを重視した教育には、大きな意義があります。例えば、RNA-Seq解析で広く使われるedgeRやDESeq2について、なぜ負の二項分布モデルが採用されているのか、なぜ分散推定が重要なのか、モデルがどのような仮定に基づいているのかを理解することは、解析結果を適切に評価するための重要な基礎になります。StatQuest with Josh Starmerは、こうした統計学的な概念を動画で分かりやすく解説している優れた教材です。数式や統計モデルの意味を理解することで、単に解析ツールを操作する段階から一歩進むことができます。
しかし、ここにも注意すべきことがあります。
統計モデルを正しく理解するための教育が、「このデータには必ずこの手法を使うべきだ」「この手法は使ってはいけない」という固定的なルールの習得に変わってしまったら、それは新たな教条主義になりかねません。
例えば、「RNA-Seqにはt検定を使うべきではない」という説明です。生カウントデータに通常のt検定をそのまま適用することには明確な問題があります。しかし、それを理由に、前処理後のデータに対するt検定の適用可能性まで一律に否定できるわけではありません。
統計モデルの理解へシフトしつつあることは重要な変化です。しかし、その理解が別の固定的なルールに置き換わってしまうなら、手続き主義への反省を十分に活かしたことにはならないでしょう。
本来の目的は、生物学的な問題を理解すること
そもそも、RNA-Seq解析で私たちが知りたいのは、生物学研究上の問題に対する答えなのです。疾患の原因に関わる遺伝子を探したい場合もあれば、薬剤に対する細胞の応答を理解したい場合、あるいは観察された現象がどのようなメカニズムによって生じているのかを知りたい場合もあります。こうした異なる研究目的に対して、同じ解析手順が常に最適と考えることには、そもそも無理があります。統計学と生物学ではデータ解析に対する関心の置き方が異なりますが、両者をつなぐのは、問いの立て方、データの見方、結果の確かめ方ではないでしょうか。
統計手法を正しく使うことは重要ですが、それ自体が研究の目的ではありません。生物学的な問題を理解するために、どの手法をどう利用するかを考えられるようになることが重要なのです。
探索的データ解析においては、何が起きているのか、何を調べるべきなのかさえ、最初は明確ではありません。だからこそ、データを観察し、考えられる原因について仮説を立て、その仮説が正しければどのような発現パターンが現れるはずかを考える。そして、その特徴を調べるために適切な解析手法を選ぶ。この過程を繰り返しながら、生物学的な理解に近づいていくことが、探索的データ解析のアプローチです。ここで重要なのは、統計手法の標準的な使い方に従うことだけが、正しい解析とは限らないということです。その原理と限界を理解したうえで、標準的な解析手順や判定基準にとらわれず、研究目的に応じてさまざまなツールの使い方を創造的に模索することすら含まれます。
厳密な答えを求める前に、問いの立て方を考える
探索的データ解析(Exploratory Data Analysis、EDA)の発展に大きく貢献した統計学者John W. Tukeyは、1962年の論文 The Future of Data Analysis で、次のような言葉を残しています。
しばしば曖昧である正しい問いに対する近似的な答えの方が、いくらでも厳密に定式化できる間違った問いに対する正確な答えよりも、はるかに優れている。
この言葉は、統計学的な厳密さを否定するものではありません。しかし、そもそも問いの立て方が適切でなければ、どれほど厳密に答えを求めても、本来の研究目的には近づけないという指摘です。RNA-Seq解析でも、解析手法の正しさを追求するだけでなく、何を明らかにするための解析なのかをあらためて問い直す必要があるのではないでしょうか。
ミクロの厳密さは、マクロの妥当性を保証しない
RNA-Seq解析の手法が発達する中で、個々のツールレベルでの妥当性や整合性は高められてきました。しかし、個々の処理が統計学的により精密になったことと、解析全体が生物学的な問題に対して妥当であること、あるいは個々の解析結果が全体として整合的かは、別の問題です。
例えば、DEG解析に投入するデータがバッチエフェクトやその他の実験的要因によってひどく歪められていないかを、統計ツールが自動的に判断してくれるわけでもありません。DEG解析で偽陽性を適切に制御できたとしても、得られた遺伝子群が研究上の問いの答えになっているとは限りません。さらには、その遺伝子群が続いて行われるエンリッチメント解析にとって最適なわけでもありません。
また、たとえシミュレーションで優れた性能を示したとしても、その評価は設定されたデータ生成モデルや正解の定義に依存します。解析手法のベンチマークを適切に設計・解釈することの重要性も指摘されています。現実の生物学的な発見にどの程度貢献できるかは、別途検討する必要があります。
生物学的な目的に応じて、統計ツールを利用する
RNA-Seq解析では、P値だけでなく、Fold Changeの条件を組み合わせてDEGを選ぶことが一般的に行われています。これは、統計的な有意性だけでなく、発現変化の大きさにも注目したいという、研究現場の実用的な要請に応える方法です。edgeR、DESeq2、t検定を比較したケーススタディ、低分散・少サンプルのin vitroデータの場合やbiopsy由来・中規模データの場合では、t検定だけで有意となる遺伝子の多くが、群内分散は極めて小さいものの、発現変化も小さいという特徴を示しました。ところが、Fold Changeの条件を加えると、こうした遺伝子の多くが除外され、三つの手法による遺伝子リストの重なりが大きくなりました。言い換えると、生物学の現場で使われてきた実用的な選択基準が、結果として、現代の統計モデルによる遺伝子選択を近似していたとも考えられるのです。もちろん、この結果をあらゆるデータに一般化することはできませんが、研究現場で生まれた実用的な工夫が、統計モデル間の違いを小さくする場合があるのは興味深い点です。
別の例として、生物学的な仮説から予想される発現パターンを探索するケーススタディでは、原因因子や抑制因子を組み合わせた思考実験をもとに、t検定のP値を通常とは異なる目的に利用する方法を提案しています。通常行われるP値の小さい遺伝子を集めるのではなく、有意判定の閾値付近にある遺伝子を積極的に集め、クラスタリングによって、生物学的な仮説に合う遺伝子群を探すというアプローチもありではないかという提案です。この方法によって目的の遺伝子が実際に濃縮されるかどうかはわかりません。しかし、統計的な有意性だけでなく、生物学的な仮説との適合性を基準に候補遺伝子を選ぶという発想も、探索的解析では検討されてよいのではないでしょうか。
DEGを選んでからクラスタリングするという流れが論文で多く見られますが、その方法では、DEGとして検出されなかった遺伝子の発現パターンを探索できません。実際、BioconductorのRNA-Seqワークフローでは、DEGではなく、サンプル間での発現変動が大きい遺伝子を選んでクラスタリングする方法も紹介されています。クラスタリングの価値を生かすためには、研究目的に応じて、どの遺伝子をクラスタリング解析の対象にするのかをもっと真剣に考える必要があります。
これら二つの例に共通しているのは、統計的な指標を最終目的とするのではなく、生物学的な問題に近づくための道具として利用していることです。
探索から検証へ、そして新しい問いへ
探索的データ解析では、候補を見落とさないことと、偽陽性を抑えることのどちらを重視するかも、研究目的によって変わります。
例えば、統計的に有意なDEGを報告したい場合と、次の実験で機能を検証する候補を幅広く探したい場合では、同じ判定基準が適切とは限りません。実際、DEG解析で有意と判定されなかった遺伝子にも、生物学的な重要性が実験で確認された例があります。もちろん、探索によって見つけられた候補は、より慎重に生物学的な検証を経る必要があるでしょう。しかし、RNA-Seqデータ解析において、探索的解析の目的や方法論についても、統計学的な厳密さと同じくらい真剣に、深く議論されてもよいのではないでしょうか。
探索的データ解析は、最初に設定した問いに答えるだけでなく、データを観察することで、問いそのものを発展させていく過程でもあります。その過程でさまざまな仮説を立て、データと照らし合わせながら可能性を絞り込み、さらに検証すべき新しい問いを見つけていくことに価値があるのです。
探索の過程で仮説や解析方法を変更することには、チェリーピッキングではないかという批判があるかもしれません。しかし、探索的データ解析とチェリーピッキングの境界が必ずしも明確ではないことは、統計学の分野でも議論されており、その上で、試行錯誤を避けることではなく、その過程を透明にすることが重要な原則として示されています。成功した試行だけを報告するのではなく、どのような仮説を立て、何を試し、何がうまくいかなかったのかを記録し、探索によって得られた知見を、検証された結論と区別して報告することです。この原則は、AIが科学的な知識を利用する時代に、ますます重要性を増していくと考えられます。