バイオインフォマティクス教育が取り組んできた二つのこと
バイオインフォマティクス教育は、これまで大きく二つの方向から進められてきました。一つは、解析に必要な知識を習得するための教育です。分子生物学、統計学、アルゴリズム、データベースなど、バイオインフォマティクスには幅広い知識が求められます。こうした知識を体系的に学ぶ教育プログラムが開発されてきました。
もう一つは、実際に解析を実行できるようになるための教育です。近年は、ハンズオン講習やオンライン教材が充実し、プログラミングや解析ツールの操作を実践的に学べる機会が増えています。こうした教育では、「まず動かしてみる」という考え方が重視されてきました。初心者が、統計モデルやアルゴリズムの詳細をすべて理解してから解析を始めようとすれば、実際のデータに触れるまでに多くの時間がかかります。まず一通りの解析を経験し、その後に必要な知識を学んでいくという教育方針には、一定の合理性があります。
しかし近年では、知識を身につけ、解析ツールを操作できるようになれば、研究に必要なデータ解析ができるようになったと言えるのかという問題に関心が移っているように思います。
解析が完了したことと、正しく解析できたことは違う
例えば、RNA-Seq解析のハンズオン講習を受講したとします。FASTQファイルからGene Countsを取得し、DESeq2でDEGを抽出します。PCAやヒートマップを作成し、エンリッチメント解析を行います。一連のワークフローをエラーなく完了できれば、受講者は大きな達成感を得られるでしょう。
しかし、こうした講習では、受講者が一連の解析を完了できるよう、あらかじめ選定・準備されたデータが使われることも少なくありません。そのため、次のような問題に遭遇したときの対応が、十分に扱われていない可能性があります。
- サンプル間の発現分布に、予想していなかった違いが存在していたら?
- PCAで、当初の群分けとは異なるサンプル集団が見つかったら?
- 特定のサンプルを含めるかどうかで、DEG解析の結果が大きく変わっていたら?
- 平均発現量の差ではなく、群内のばらつきに重要な生物学的情報が含まれていたら?
こうして得た知識とスキルで、いざ現実のデータを解析すると、上述の問題が存在していたとしても、解析ツールは正常に動作し、DEGリストやエンリッチメント解析の結果を出力しえます。しかも、既知の生物学的知識と一致する、もっともらしい結果が得られることもあります。
解析が正常に終了したことは、解析方法がデータに適していたことや、得られた結果が妥当であることを保証しません。 こうした問題は、「Designing RNA sequencing experiments: A practical guide to reproducible gene expression analysis」でも指摘されています。このレビュー論文では、RNA-Seq解析で再現性があり、生物学的に意味のある結果を得るために、実験設計や解析手法の選択だけでなく、品質管理、可視化、結果の解釈などを総合的に検討する重要性が論じられています。
「まず動かしてみる」という教育は有効です。しかし、それが「動いたから理解できた」「結果が出たから解析できた」という認識につながってしまうなら、問題があります。
バイオインフォマティクス教育の第3の視点
ここで、もう一つの教育目標を考える必要があります。それは、解析結果を批判的に評価する能力を育てることです。以前の記事では、AI時代のRNA-Seqデータ解析の学び方について考えました。今回は、この第3の教育目標について、もう少し深く考えてみたいと思います。
解析結果を批判的に評価するとは、何をすることなのか?
解析結果を批判的に評価すると聞くと、次のようなことを思い浮かべる方が多いかもしれません。
- DESeq2とedgeRのどちらを使うべきか。
- 正規化方法は適切だったか。
- FDRの閾値は0.05と0.1のどちらがよいか。
- Fold Changeの閾値をどう設定するか。
- WGCNAと階層型クラスタリングのどちらが優れているか。
実際、インターネット上には、解析アルゴリズムの比較や統計的な妥当性についての解説が数多く存在します。AIに解析結果の信頼性について質問しても、まずこうした観点から回答されることが少なくありません。
しかし、これらの議論には共通する前提があります。何を解析すべきかという問い自体は、すでに決まっているということです。例えば、二群間で平均発現量の異なる遺伝子を見つけたいという目的があれば、そのために最も適切な統計モデルや閾値を検討します。それは、同じ山の頂上を目指して、どの登山ルートがよいかを比較することに似ています。しかし、そもそも登るべき山が違っていたら、どうでしょうか。
そもそも、違う山を目指すべきではないのか?
統計学者John Tukeyは、The Future of Data Analysis(1962)で、間違った問いに対する正確な答えよりも、正しい問いに対する近似的な答えの方が価値がある、という趣旨の考えを示しています。これは、生命科学のデータ解析にも当てはまると思います。
例えば、ある疾患の患者群と健常者群を比較し、平均発現量の異なる遺伝子を探していたとします。しかし、実際のデータを調べると、患者群の一部だけが大きく変化していることに気づくかもしれません。その場合、患者群全体の平均値を比較することが、研究上の重要な現象を捉えるための最善の方法なのでしょうか。あるいは、平均発現量には大きな違いがなくても、患者群で遺伝子発現のばらつきが著しく大きくなっている場合があります。そこには、何らかの生物学的な制御の変化が反映されている可能性もあります。もちろん、そうした特徴が見つかったからといって、直ちに生物学的な原因が分かるわけではありません。しかし、少なくとも、当初予定していたDEG解析だけでは十分でないかもしれない、と考えるきっかけになります。そのようなデータに対して、DESeq2とedgeRのどちらが優れているかをいくら議論しても、根本的な問題は解決しないかもしれません。
研究目的からデータ解析全体を俯瞰する視点
そこで、いったん研究目的に立ち返り、データ解析全体を俯瞰してみることをお勧めします。
私たちは、研究目的や実験計画から、「このデータはこういう性質を持っているはずだから、この方法で解析すればよい」と考えがちです。また、これまでに学んできた標準的な解析手順から、「この種類のデータは、このように解析するものだ」という先入観を持っていることもあります。しかし、そのような想定や先入観に従って解析を進めると、実際のデータに含まれる予想外の特徴を見落としてしまうかもしれません。標準的な解析手順を正しく実行できたとしても、それが研究目的に照らして適切な解析だったとは限らないのです。
だからこそ、「このデータはこういうデータだから、このように解析すべきだ」と考える前に、「このデータはこういうデータのはずだが、実際にもそう見えるのか」と問いかけることが重要です。 その確認のために有効なのが、データをさまざまな角度から可視化し、実際に観察することです。
What You See Inspires You.
GalaxyからiDEPまで試して分かった、可視化と検証可能性の違い
これまで私たちは、同じRNA-Seqデータ(GSE173789)を使い、Subio Platformでの再解析に加えて、Galaxy、RaNA-Seq、RNAseqChef、iDEPなどの解析環境を検証してきました。このデータでは、一部のサンプルに発現分布の歪みがあり、それがDEG判定に大きく影響していることを、すでにSubio Platformによる再解析で確認しています。この一連のケーススタディでは、他の解析ツールを使った場合にも、こうしたデータの特徴と解析結果への影響に気づけるのかに注目しました。
これらのツールには、さまざまな解析機能や可視化機能があります。PCAやヒートマップなどを作成することもでき、データに予想外の特徴があることを示唆するグラフが得られる場合もありました。しかし、実際に操作してみると、可視化機能があることと、データの特徴を詳しく調べられることは、必ずしも同じではないと分かってきました。
グラフ上に怪しげな兆候が見えていても、それが本当に問題なのかは、一つのグラフだけでは判断できません。特定のサンプルを選択して他のグラフで確認したり、実験条件と照らし合わせたり、解析対象を変更して結果を比較したりする必要があります。問題を疑わせる兆候が見えていても、それが本当に問題なのかを判断するための情報を十分に得られるとは限らないのです。
これは、可視化の種類が少ないという問題とも違います。多くの種類のグラフを描画できても、それぞれが独立した図に過ぎなければ、異なる角度からデータを調べ、複数の情報を照らし合わせることが著しく困難だからです。
可視化できることと、解析結果の妥当性を検証できることは違う。これが、一連のケーススタディを通じて見えてきた重要な問題です。
データを批判的に評価するための可視化には、何が必要なのか?
今回のケーススタディを通じて、私たちは、少なくとも次の三つの機能が重要だと考えるようになりました。
1. 複数の可視化を関連づけられること
一つのグラフで見つかった特徴を、別のグラフからも多角的に検討し、意味のある特徴なのか、問題の要因なのかを判断できることが重要です。
例えば、PCA上で予想外の位置にあるサンプルを見つけたとき、そのサンプルが他のサンプルと比べて、どのような遺伝子群の発現パターンに起因するのかを調べる必要があります。そのためには、ヒートマップや散布図、線グラフ、ヒストグラムなど複数の可視化が必要です。さらに、生Count値、正規化後のCount値、実際に各解析の計算に使われた値など、異なる処理段階のデータでも検討する必要があります。
このように、複数の角度・複数の処理段階からの検討を、一連の作業として関連づけられることが重要です。
2. インタラクティブに操作できること
解析対象の遺伝子やサンプル、さらに表示条件等を変更しながら、気づいたことを自由自在に検討できることが求められます。
例えば、PCA上で離れて見えるサンプルに印をつけ、そのサンプルがヒートマップ上のどこに相当するのか、どの遺伝子群の発現パターンがその特徴に寄与しているのか、それらの遺伝子群の生Count値と正規化後のCount値がどのように違っているのか、その発現パターンが正規化によって作られたものではないかといった一連の疑問を、その場で次々に確かめられる必要があります。
解析条件を変更するたびにデータの加工や再インポートを繰り返すことなく、思考のまま流れるように探索できることが重要です。
3. 実験データ以外の情報も統合できること
発現量のデータだけでは、その違いが何を意味しているのか判断できない場合があります。判断するためには、実験条件や臨床情報、属性情報、遺伝子アノテーションなどの付随情報と関連づけながら考える必要があります。
例えば、PCA上で見つかったサンプル集団が、年齢、性別、治療歴、採取条件、実験日、担当者などと対応していないかを調べます。その結果、新しい生物学的仮説が生まれるかもしれませんし、バッチ効果などの技術的要因を疑う必要が出てくるかもしれません。
ここでも、付随情報が単に保存されていて、必要なときに取り出せるだけでは十分ではありません。データを観察しながら、その場で生まれる疑問に応じて必要な情報を関連づけ、さまざまな角度から検討できることが重要です。
データを批判的に評価するために必要なのは、単に多くの種類のグラフを描けることではなく、複数の可視化や付随情報を関連づけ、思考の流れに沿って自由に探索・検証できることです。
AI時代には、第3の能力がさらに重要になる
AIの普及によって、バイオインフォマティクスの学習や解析環境は大きく変わりつつあります。統計手法やアルゴリズムについて質問すれば、AIが説明してくれます。解析コードの作成やエラーの修正も支援してくれます。さらに、データを与えるだけで、一連の解析を自動的に実行することも、ますます容易になるでしょう。
しかし、ここで最初の教育の議論に戻ります。AIによって知識を得ることや解析を実行することが容易になっても、得られた結果が研究目的に適しているかどうかという問題は残ります。特に注意したいのは、標準的な解析手順が、必ずしも目の前のデータに適しているとは限らないことです。むしろ、AIが解析作業の実務を担当することによって、解析結果の妥当性・整合性を十分に検討しないまま終わらせてしまうリスクが高まることが懸念されています。こうした問題は、Ten Simple Rules for Responsible Use of AI and LLMs in Computational Biologyでも指摘されています。
その意味で、AI時代には、バイオインフォマティクス教育の第3の視点がますます重要になると考えています。解析を実行する能力だけではなく、得られた結果を観察し、疑問を持ち、必要なら解析方針そのものを見直す能力を、どのように育てていくのか。これは、これからのバイオインフォマティクス教育で考える価値のある課題ではないでしょうか。
解析結果を批判的に評価する力を育てるために
最後に、Subio Platformの役割についても整理しておきたいと思います。
論文に掲載するための解析を、必ずSubio Platformで実行する必要はありません。RでもPythonでも、Galaxyでも、その他の解析ツールでも構いません。それぞれの研究目的に適した方法を選択すればよいと思います。
しかし、どのツールで解析した場合でも、元のデータにどのような特徴があるのか、解析方法の選択によって結果がどう変わるのか、複数の解析結果は互いに整合しているのか、といったことを調べる必要があります。Subio Platformは、そうした探索的データ解析(EDA)と検証を、解析者自身が進められるように設計されたソフトウェアです。
そこで、解析の前後にSubio Platformを使って、データや解析結果を俯瞰することを提案しています。解析前には、データの特徴をありのままに見て解析方針を決めるために。解析後には、得られた結果の妥当性・整合性を検証するために。
データの特徴に気づき、仮説を立て、検証し、判断するのは、あくまで解析者自身です。その能力を育てるための教育に、ぜひSubio Platformをお役立てください。
シリーズ:RNA-Seq解析ツールでデータの問題を発見できるか?
同じRNA-Seqデータ(GSE173789)を使い、データに潜む問題を発見し、その原因や解析結果への影響を検証できるかを調べた記事シリーズです。
- データの可視化による問題の発見 ― 発現分布の歪みと、その解析結果への影響を検証
- Galaxyを使ったRNA-Seq解析 ― 標準的なワークフローによる解析と検証
- RaNA-Seqを使ってみた ― FASTQからの自動解析と結果の検証
- RNAseqChefを使ってみた ― 多様な解析機能と探索的検証
- iDEPを使ってみた ― 豊富なQCグラフからデータの問題を発見できるか?
- バイオインフォマティクス教育の第3の視点 ― AI時代に必要な、解析結果を批判的に評価する力