RNA-Seqデータ解析では、発現変動した遺伝子群が得られた後に、 その変化をどのように生物学的に解釈するかが重要になります。
Subio PlatformのRNA-Seqデータ解析チュートリアルでは、
「第7章 遺伝子アノテーションとエンリッチメント解析:統計解析の結果から生物学的解釈へ」で、GSEAで提供されている転写因子標的遺伝子セットを用いたエンリッチメント解析を紹介しました。
また、「第8章 ゲノム上の位置特異的に発現制御されている遺伝子と、モチーフ配列」では、
転写開始点(TSS)から任意の距離内に特定のモチーフ配列を持つ遺伝子を検索しました。
しかし、これらはいずれも、配列情報や予測リストに基づく解析です。 モチーフ配列が存在するからといって、その細胞種や実験条件で実際に転写因子(TF)が結合しているとは限りません。 また、予測された標的遺伝子リストも、実際の結合状態や発現制御を直接示すものではありません。
そこで今回は、公共ChIP-seqデータを統合したデータベースである ChIP-Atlas を使い、 RNA-Seqで観察された発現パターンを、転写因子結合情報と関連づけて解釈する方法を紹介します。
ChIP-Atlasとは
ChIP-Atlasは、公共データベースに登録されたChIP-seq、ATAC-seq、Bisulfite-seqなどの実験データを統合し、 エピゲノム情報を探索できるdata-mining suiteです。 ChIP-Atlasのトップページでは、数十万件規模のChIP-seq、ATAC-seq、Bisulfite-seq実験を統合していると説明されています。
ChIP-Atlasでは、Peak Browser、Target Genes、Enrichment Analysis、Colocalization、Dataset Searchなど、 複数の機能を利用できます。 このうち、今回の動画では主に次の2つを使います。
| 機能 | 主な目的 | 今回の使い方 |
|---|---|---|
| Peak Browser | 特定のTFやヒストン修飾などのピークを、ゲノム上で確認する | ESRRAのChIP-seqピークをBEDファイルとして取得し、Subio Platformに取り込む |
| Enrichment Analysis | 入力した遺伝子群やゲノム領域群の近くに、どのTFなどのピークが多いかを調べる | 発現上昇した遺伝子群の近くに結合ピークが多いTF候補を探索する |
ChIP-Atlasの結果をどう読むべきか
ChIP-Atlasを使うと、実際のChIP-seq実験で観測された転写因子結合ピークを手がかりに、 遺伝子発現変動の上流にある制御因子を考えることができます。
ただし、ChIP-Atlasの結果を読むときには次の注意が必要です。 転写因子の結合は、細胞種、刺激条件、分化状態、時間経過、クロマチン状態によって大きく変化します。 そのため、ある領域にピークがあることは、 「過去の特定の実験条件で、その領域に結合が観測された」という証拠であり、 「常にその領域に結合している」という意味ではありません。
また、公共データを統合したデータベースであるため、 含まれる実験の抗体、シーケンス深度、ピーク検出感度、データ品質も一様ではありません。 ChIP-Atlasでピークが見つかった場合は、そのTFが関与し得る有力な手がかりになります。 一方で、ピークが見つからない場合でも、 目的の細胞種や条件のデータが登録されていない、 あるいは実験感度や品質の問題で検出されていない可能性があります。
つまり、ChIP-Atlasは「存在することの証拠」を探すには非常に有用ですが、 「存在しないこと」を証明するためのツールではありません。
Peak BrowserでESRRA結合ピークを取得する
動画の前半では、ChIP-AtlasのPeak Browserを使って、 Breast由来細胞で検出されたESRRAの結合ピークをBEDファイルとしてダウンロードします。
ダウンロードしたBEDファイルは、Subio PlatformのRegion Listとしてインポートできます。 Region Listとして取り込むことで、転写因子結合ピークのゲノム上の位置を、 RNA-Seqデータや遺伝子アノテーションと重ねて確認できます。
今回は、ESRRAピークのうち、MDA-MB-231細胞を使った実験データで検出されたピークに絞り込みました。 その後、hg38のゲノム上でピーク位置を可視化し、 Genome Location Filterを使って、TSS近傍にESRRAピークを持つ遺伝子を抽出しました。
ここでは例として、TSSの上流500 bpを中心に、 その両側に500 bpずつ拡張した領域にピークを持つ遺伝子を抽出しています。 このように、Subio Platformでは、TSSからの相対位置を指定して、 特定のゲノム領域にピークを持つ遺伝子を検索できます。
ESRRAピークをTSS近傍に持つ遺伝子の発現パターンを見る
抽出した遺伝子リストは、そのままRNA-Seqデータ上で発現パターンを確認できます。 Genome Browser上で発現データを可視化すると、 ゲノム上で近接した遺伝子の間に、似た発現パターンが見られる場合があります。
これは、ESRRAによる発現制御だけでなく、 クロマチン状態やゲノム上の位置に関連したエピジェネティックな制御が関与している可能性を考える手がかりになります。 もちろん、この段階では因果関係を証明しているわけではありません。 しかし、ゲノム位置、転写因子結合ピーク、発現パターンを同じ画面で確認することで、 どの遺伝子群を詳しく見るべきかを考えやすくなります。
Enrichment Analysisで上流候補TFを探す
動画の後半では、逆向きの解析を行います。 つまり、特定の発現パターンを示す遺伝子群から、 その近くに結合ピークが多い転写因子候補を探します。
ここでは、3種類のESRRA siRNA処理で共通して発現上昇する遺伝子群を取り出し、 そのGene SymbolをChIP-AtlasのEnrichment Analysisに入力します。 Enrichment Analysisは、入力した遺伝子群やゲノム領域群に対して、 どのTFやエピゲノム特徴のピークが多く重なっているかを調べる機能です。
これは、特定の1つの遺伝子について「このTFのピークがあるかどうか」を見る解析ではありません。 むしろ、ある発現パターンを示す遺伝子群に対して、 どのTFの結合ピークが近くに多いかを調べ、 上流で関与している可能性のあるTF候補を探索するための解析です。
Enrichment Analysisの結果をSubio Platformで確認する
ChIP-AtlasのEnrichment Analysisの結果は、TSVファイルとしてダウンロードできます。 動画では、この結果をExcelで開き、MDA-MB-231細胞の実験データに絞り込みました。 その後、Gene Symbol列を取り出してタブ区切りファイルとして保存し、 Subio Platformに遺伝子リストとしてインポートしています。
発現が共通して上昇する遺伝子群の上流候補TFリストには、ESRRAが含まれていました。 ESRRA siRNA処理ではESRRA自身の発現が低下する一方、 共通して発現上昇する遺伝子群の近傍には、ESRRAの結合ピークが多く見つかりました。 この結果は、ESRRAの低下と、これらの遺伝子群の発現上昇との関係を考える手がかりになります。
ChIP-AtlasとRNA-Seqを組み合わせる意味
RNA-Seq解析では、どの遺伝子の発現が上昇または低下したか、 また、どのPathwayやGO termが関係していそうかを調べることができます。 しかし、その発現変動の上流でどのTFが関与しているのかを考えるには、 別の種類の情報が必要になります。
ChIP-Atlasを使うと、公共ChIP-seqデータに基づいて、 発現変動した遺伝子群の近くに、どのTFの結合ピークが多いかを調べることができます。 これにより、RNA-Seqで見つかった発現パターンを、 TF結合やクロマチン状態の情報と関連づけて解釈できます。
この動画では扱っていませんが、 ESRRAと同じゲノム領域に結合する傾向を持つ別のTFを調べるには、 Colocalizationツールが役立ちます。 そのようなTFが見つかれば、 ESRRAのノックダウン後に、そのTFが関与する転写プログラムの影響が 相対的に強まる可能性を検討できます。 さらに、そのTFの標的候補遺伝子を調べるには、 Target Genesツールを利用できます。 ただし、Colocalization解析だけでは、 ESRRAノックダウン後にそのTFの結合が実際に増加したことまでは示せません。
このように、ChIP-Atlasと Subio Platformを組み合わせることで、 RNA-Seqで観察された発現変動の上流機構について仮説を立て、 候補となるTFや標的遺伝子を段階的に絞り込むことができます。 両者の組み合わせは、発現変動の背景にある制御機構を考えるための 強力な仮説生成手段になります。