RNA-Seqは2,000万~3,000万リードあれば十分なのか?
RNA-Seqのシーケンス深度について調べると、 1サンプルあたり2,000万~3,000万リード程度が、 一般的な目安として示されることがあります。
ただし、受託会社のサイトで案内されているリード数は、 read pairsではなく、 Read 1とRead 2を合計した総リード数の場合があります。 その場合、read pairsに換算すると半分になることに注意が必要です。
実際に、2,000万~3,000万read pairs程度の実験データでは、 高発現から中程度の発現量を持つ遺伝子については、 安定したGene Countsが得られることが多いです。 しかし、低発現遺伝子では数カウントから数十カウント程度にとどまり、 サンプルによっては検出されないこともあります。
この点については、 3′ RNA-Seqを使う意味を検討した記事 でも説明しています。
サンプル数が増えると、解析対象遺伝子はさらに減る
実際のRNA-Seqでは、 サンプルごとに総リード数や有効リード数に 数倍の差が生じることがあります。 サンプル数が増えるほど、 特に有効リード数の少ないサンプルが 含まれる可能性も高くなります。
問題は、複数サンプルを比較する場合、 全サンプルで共通して安定測定できる低発現側の範囲が、 最もダイナミックレンジの狭いサンプルによって制限される ことです。
そのため、シーケンス時に示された平均的なリード数よりも、 全サンプルに共通して利用できる実質的な測定深度は、 低くなると考えておく必要があります。
この点については、 biopsy由来の40サンプルを比較した事例 で詳しく説明しています。
現在のbulk RNA-Seqは低発現領域まで届いていない
現在一般的に行われているbulk RNA-Seqで 主に測定できているのは、 高発現から中程度の発現量を持つ遺伝子です。 低発現領域には十分に届いていない と考える必要があります。
低発現領域まで測定対象を広げるには、 これまでよりもリード数を増やすことを 検討する必要があります。
3′ RNA-Seqを使う意味を検討した記事 では、Read 2を省略し、 3′末端付近へリードを集中させることで、 同じ予算でもGene Countsに利用できるリード数を 増やす可能性を示しました。
しかし、そこで主に考えていたのは、 ライブラリー調製とシーケンスにかかる費用でした。
実際には、リード数を増やすほど、 FASTQファイルの保存、 データ転送、 マッピングや定量に必要な計算時間、 中間ファイルや解析結果の保管、 バックアップなどのコストも増加します。
シーケンス単価が下がったとしても、 力業でリード数を数倍、数十倍へ増やせば、 研究全体で扱うデータ量も膨れ上がります。 そのため、単純に総リード数を増やし続ける方法には限界があります。
高発現RNAを除去し、低発現領域へリードを振り向ける
通常のRNA-Seqでは、 RNA試料中に多く含まれる高発現RNAによって、 大量のリードが消費されます。
いくら総リード数を増やしても、 高発現RNAにリードの大部分を奪われることは変わらず、 新たに得られる情報は限定的です。
そこで考えられるのが、 高発現RNAをRNA試料の段階で選択的に除去し、 限られたシーケンスリードを 中発現から低発現の遺伝子へ振り向ける方法 です。
高発現RNAをあらかじめ減らしてからライブラリーを作製すれば、 ライブラリー中で高発現RNAに由来する断片が占める割合を減らし、 低存在量RNAに由来するライブラリー断片の 相対的な割合を高められる可能性があります。
現在一般的な深度のRNA-Seqから除去対象を決める
まず、1サンプルあたり 2,000万~3,000万read pairs程度のRNA-Seqを行い、 シーケンスリードの大きな割合を占めている 高発現RNAを特定します。
次に、それらのRNAへ結合するプローブを設計し、 高発現RNAをRNA試料の段階で選択的に除去します。
高発現RNAを除去した試料についても、 同程度の2,000万~3,000万read pairsでシーケンスします。
ライブラリー中で高発現RNAに由来する断片が占める割合を 減らすことができれば、 総リード数を大幅に増やさなくても、 それまで十分に測定できなかった 中発現から低発現のRNAへ、 より多くのリードを振り向けられる可能性があります。
ライブラリー作製後に高存在量配列を減らす方法もある
高発現RNAの影響を減らす方法としては、 RNA試料の段階で除去する方法だけでなく、 RNA-Seqライブラリーを作製した後に、 高存在量の配列を選択的に減らす方法もあります。
たとえばDASH (Depletion of Abundant Sequences by Hybridization)では、 ガイドRNAとCRISPR-Cas9を用いて、 DNAライブラリー中の特定配列を選択的に切断します。
切断されたライブラリー断片は、 その後の増幅やクラスター形成に利用されにくくなるため、 高存在量配列が占めるリードの割合を減らすことができます。
ただし、DASHはライブラリー作製後に行う方法であるため、 ライブラリーに取り込まれなかった低存在量RNAを 後から回収できるわけではありません。 すでにライブラリー中に存在する低存在量配列へ、 より多くのリードを割り当てる方法と考える必要があります。
以下では、DASHではなく、 RNA試料の段階で高発現RNAを除去してから ライブラリーを作製する方法について考えます。
除去前と除去後の測定を相補的に利用する
高発現RNAを除去した試料だけを解析すると、 除去対象となった遺伝子の本来の発現量は分かりません。
そこで、同じRNA試料を分けて、 次の二つの測定を行います。
- 高発現RNAを除去せず、 高発現から中発現領域を測定するRNA-Seq
- 高発現RNAを選択的に除去し、 中発現から低発現領域を測定するRNA-Seq
ただし、高発現RNAを除去すると、 ライブラリーを構成するRNAの比率そのものが変化します。
そのため、除去前と除去後のRNA-Seqで得られたCountsを、 通常のGene Countsと同じように直接比較したり、 一つの連続した発現量テーブルとして 単純に結合したりすることはできません。
つまり、この二つのデータは数値的に接続するのではなく、 それぞれが異なる発現領域を測定する 相補的なデータとして解釈する 必要があります。
このように、除去前後のデータを 直接比較または結合できないのであれば、 除去前の高発現から中発現領域については、 RNA-Seqの代わりにアジレント社のマイクロアレイを利用することも考えられます。
マイクロアレイには、 中発現から高発現の遺伝子を比較的安定して測定できることに加え、 データを扱いやすく、 保存に必要な容量も非常に小さいという利点があります。
高発現RNAを除去しても、情報量が単純に増えるとは限らない
高発現RNAに由来するリードが RNA-Seqライブラリー全体の半分を占めており、 それらのRNAを十分に除去できれば、 残ったRNAに由来するライブラリー断片の 相対的な割合は理論上約2倍になります。
同じ総リード数でシーケンスすれば、 中発現から低発現の遺伝子に割り当てられるリードも 増えることが期待されます。
ただし、mRNAの発現順位は、 組織、細胞型、疾患、処理条件によって異なります。 そのため、高発現mRNAを除去するには、 実験ごとに次の工程が必要になります。
- 除去前のRNA-Seqを行う
- 実験群全体から除去対象となる高発現RNAを選ぶ
- カスタムプローブを設計・合成する
- 除去効率とオフターゲットを検証する
また、実験条件の違いに関係する重要な遺伝子が、 特定の実験群だけで高発現している場合もあります。 そのような遺伝子を除去対象に含めると、 本来確認すべき群間差を失う可能性があります。
したがって、除去対象は一つのサンプルだけから決めるのではなく、 すべての実験群を確認したうえで、 解析目的に必要な遺伝子を残すように選ぶ必要があります。
さらに、実際の情報量がそのまま2倍になるとは限りません。 限られた量のRNA試料から高発現RNAを大量に除去すると、 ライブラリー調製に利用できる独立したRNA分子が 十分に残らない場合があるためです。
その場合、 同じRNA断片を繰り返し増幅して読む割合が高くなったり、 RNA断片を含まないアダプター同士の配列が読まれたりして、 実際に新しく得られる遺伝子情報が 少なくなる可能性があります。
そのため、どのRNAをどの程度まで除去すれば 低発現RNA由来の有効リードが最も増えるのかを、 実験的に確認する必要があります。
また、除去処理の効率がサンプルごとに異なれば、 前処理そのものが新たな技術的ばらつきになることにも 注意が必要です。
このようなコストと技術的な難しさを考えると、 高発現mRNAのカスタム除去が、 rRNA除去のような汎用的な方法として 広く利用されにくいことは理解できます。
それでも、現在の技術環境を考えると、 この方法を改めて検討する余地はあるように思います。
その理由は、 scRNA-Seqの利点とともに技術的な限界も明確になってきたこと、 そして総リード数の増加に伴う データ保存、転送、情報処理のコストが 無視できなくなっていることです。
scRNA-Seqでは低発現遺伝子まで測定できるのか
scRNA-Seqは、 細胞型や細胞状態を区別できる点で有用です。
しかし、現在一般的なdroplet-based scRNA-Seqでは、 1細胞あたりに回収されるRNA分子と総UMI数が限られています。
1細胞から数百から数千の遺伝子が検出される場合でも、 多くの遺伝子では1から数Counts程度しか得られません。
実際のCountsは、 超高発現の上位数個から数十個の遺伝子に大きく集中し、 それ以外の多くの遺伝子を 細胞ごとの安定した発現量として比較することは困難です。
それより発現量の低い遺伝子は、 多くの細胞でCount 0となり、 検出されても一部の細胞で数Counts得られる程度です。
したがって、細胞を一つずつ分ければ、 低発現遺伝子まで詳しく測定できるようになるわけではありません。
また、scRNA-Seqそのものを調べた事例ではありませんが、 入力RNA量が少なくなると、 比較的多くのCountsが得られる遺伝子でも 測定が不安定になり得ることを、 low-input RNA-Seqデータを比較した事例 で示しています。
scRNA-Seqが普及したことで、 細胞ごとのトランスクリプトーム全体を 詳細に測定できるようになったという印象が広がった一方、 1細胞あたりの測定量が少ないという 現実的な限界も明確になってきました。
一方、bulk RNA-Seqでは、 多数の細胞に含まれるRNAをまとめて測定します。
そのため、1細胞あたりではごく少数しか存在しないRNAでも、 多くの細胞から集めれば、 試料全体では測定可能な量になることがあります。
通常のbulk RNA-Seqでは、 低存在量RNAに十分なリードが割り当てられず、 高発現RNAに埋もれてしまいます。
しかし、RNA試料の段階で高発現RNAを選択的に除去できれば、 通常のbulk RNA-SeqでもscRNA-Seqでも 十分に測定できなかった遺伝子に、 より多くのリードを割り当てられる可能性があります。
もちろん、bulk RNA-Seqでは、 検出された遺伝子がどの細胞に由来するのかを 直接特定できません。
それでも、高発現RNAを除去したbulk RNA-Seqには、 多数の細胞に含まれる低存在量RNAを集約し、 より深く測定できる可能性 があります。
低発現領域では検出頻度も情報になる
非常に低発現の遺伝子は、 高発現RNAを除去しても、 すべてのサンプルで安定して検出されるとは限りません。
しかし、十分な数の生物学的反復があれば、 各実験群で何サンプルから検出されたかを比較できます。
たとえば、ある遺伝子が対照群ではほとんど検出されず、 処理群では多くのサンプルで繰り返し検出されるのであれば、 Countsが少なくても、 その検出頻度の違いが 生物学的な情報になる可能性があります。
低発現領域では、 Countsの平均値だけではなく、 各条件でどの程度の頻度で検出されるか という情報も解析対象になり得ます。
今だからこそ、bulk RNA-Seqの別の発展方向を考える
高発現RNA除去がこれまで広く普及しなかったとしても、 それは原理的に価値がないことを意味しません。
試料や実験条件によって除去対象が異なり、 カスタムプローブの作製や検証が必要になるため、 汎用的な技術として展開しにくかったことは事実です。
また、scRNA-Seqによって 細胞ごとの発現を測定する方向が より魅力的に見えていたことも、 研究開発の優先順位に影響した可能性があります。
しかし、scRNA-Seqの利点だけでなく、 測定範囲の限界も見えてきた現在では、 bulk RNA-Seqの感度を別の方向へ伸ばす方法を、 改めて具体的に検討する価値があるのではないでしょうか。
scRNA-Seqと、高発現RNAを除去したbulk RNA-Seqでは、 目標へ向かうアプローチが異なります。
どちらにも技術的な制約があることを前提として、 相互に補完する技術と考えるのが妥当だと思います。